大阪桐蔭高校では2年生秋からエースとして活躍するも風邪を引い た際のウイルス感染が原因で1型糖尿病を発症。
3年生時もエースナンバーを背負うものの故障により県大会での登 板はなかった。
高校卒業後の進路として決まっていた社会人チームへの内定は病気 を理由に取り消されたが、推薦入試で関西大学に入学。 大学での活躍が認められ、2005年の大学・ 社会人ドラフト会議で希望枠での阪神タイガース入団を果たした。
入団1年目から1軍デビューを果たし、 3年目の2008年にローテ入りしプロ初勝利と10勝を挙げると 、
翌2009年に行われた第2回ワールド・ベースボール・ クラシックの日本代表に選出され、 中継ぎで2試合に登板し日本の2大会連続2度目の優勝に貢献した 。
2009年からは1型糖尿病患者・家族の支援団体「 日本IDDMネットワーク」を通じ、1勝につき10万円を「 1型糖尿病研究基金」に寄付。また「岩田稔基金」 を設立し同病根治を目的とした研究助成のために寄付を行っている 。
その慈善活動を通じて阪神球団や日本プロ野球機構が社会貢献活動 を評価され若林忠志賞やゴールデンスピリット賞なども受賞。
その後も2014年には9勝を挙げ日本シリーズでの先発や、 貴重な中継ぎ左腕としても活躍した後、 2021年シーズンをもって引退を表明。 阪神タイガース一筋16年の現役生活を終えた。
引退後、1型糖尿病患者で一般社会、スポーツ、文化、科学、 芸術などで活躍した人に対して日本糖尿病協会から贈られる賞で、 自らと同じ1型糖尿病を抱えながら巨人や大リーグで活躍したビル ・ガリクソン氏にちなんだ「ガリクソン賞」を受賞。
2022年からは阪神タイガースの「Community Ambassador」(コミュニティアンバサダー)に就任。
また野球解説者/スポーツコメンテーターとして活動する傍ら、 引き続き1型糖尿病の根治に向けた啓発活動を続けいる。
3年生時もエースナンバーを背負うものの故障により県大会での登
高校卒業後の進路として決まっていた社会人チームへの内定は病気
入団1年目から1軍デビューを果たし、
翌2009年に行われた第2回ワールド・ベースボール・
2009年からは1型糖尿病患者・家族の支援団体「
その慈善活動を通じて阪神球団や日本プロ野球機構が社会貢献活動
その後も2014年には9勝を挙げ日本シリーズでの先発や、
引退後、1型糖尿病患者で一般社会、スポーツ、文化、科学、
2022年からは阪神タイガースの「Community Ambassador」(コミュニティアンバサダー)に就任。
また野球解説者/スポーツコメンテーターとして活動する傍ら、
通算成績:200試合 60勝82敗 防御率3.38
表彰:月刊MVP(1回)、若林忠志賞(1回) 、ガリクソン賞(1回)
代表歴:WBC日本代表(2009年)、日米野球(2014年)