東海大仰星高校時代は外野手兼控え投手。1年浪人して大阪体育大学に入学する。
大学時代では投手に専念し頭角を現す。
大学3年時に日本代表に選ばれ、1997年のインターコンチネンタルカップ決勝では、当時国際大会151連勝中だったキューバ相手に先発し、勝利投手となる。
1998年、ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団する。
新人1年目に20勝4敗の好成績を残し、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手主要4部門を制し、史上10人目、新人としては史上3人目の投手4冠を達成し、新人王と沢村賞を受賞する。
2004年にアテネオリンピック日本代表に選ばれ銅メダル。
2006年にはWBC日本代表に選ばれ、崖っぷちの韓国戦に登板し勝利投手となり、WBC初代王者に貢献する。
2007年には故障による出遅れから、抑えとして1軍に合流するものの球団新記録となる32セーブをあげた。
2008年は不調が続いたが後半復活し、大逆転の優勝劇に貢献する。
2008年の11月にFA宣言でメジャー挑戦を表明し、1月14日ボルティモアオリオールズと契約を交わし、メジャーリーガー上原浩治が誕生した。
2シーズンを終えた2010年オフにボルティモアオリオールズと再契約を交わし、2011年シーズン中にテキサスレンジャーズへ移籍し、アメリカンリーグ優勝に貢献する。
FAとなった2012年オフに、ボストンレッドソックスと契約し、2013年のシーズン途中からクローザーを任され、地区優勝。アメリカンリーグチャンピオンシリーズではMVPを獲得。
その後ワールドシリーズ制覇に貢献し、日本人初の胴上げ投手となる。
2016年FAとなり、シカゴカブスと契約する。
2018年読売ジャイアンツと契約。
2018年には日米通算100勝、100セーブ、100ホールドを達成。
2019年5月20日、現役引退を表明。
現役引退後、2020年10月よりNHK「サンデースポーツ」にレギュラー出演。
2022年1月よりTBS「サンデーモーニング」ご意見番レギュラー出演。
またYouTubeチャンネル「上原浩治の雑談魂」を開設。2022年6月現在登録者数49万人。